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書く女、後深草院二条についての、独自研究

とはずがたり

とはずがたり



日本の平安時代の文学の特徴は、和歌とかな文字散文と日記。男性、それも天皇藤原道長クラスの書く「日誌」「記録」的な側面の強いものから、女性の書くかな文字による作品まであります。

ただし、散文の「源氏物語」「枕草子」には和歌がたくさん入るし、和歌集に物語部分がある「伊勢集」があり、「土左日記」は日記仕立ての物語で、和歌も入るので、実にファジーです。

「土左日記」は地方に赴任した国守一家が京都に帰るという話ですが、鎌倉時代になると鎌倉と京都の間を人が行き来するようになり、紀行文(道行文)が発達するようになります。紀行文には、歌枕を通りがかってそこで一首、なんて具合だから、実にファジー

900年代の紀貫之と伊勢どころか、1000年代の藤原道長紫式部清少納言をはるかに過ぎ、鎌倉時代のど真ん中、ちょうど元寇(1274年・1281年)の京都を舞台に、とある上皇に仕えた女官(=女房)が書いた怪文書があります。

それが今回の「とはずがたり」。作者は、後深草院二条(ごふかくさいんのにじょう)。仕えた人が後深草上皇(「御所さま」)、女房名が「二条」という意味です。本名は不明。ただし、父親は大納言の源雅忠(久我雅忠)、母親は後深草院天皇時代に典侍だった藤原近子(四条近子)です。

構造

とはずがたり」は大きく分けて、平安時代からの女房日記の流れを汲む女房日記が前半にあって、これがまあ、あの、その。ということなんです。

そして出家後に鎌倉に行って四国に行って〜という紀行文になり、最後は再度後深草院西園寺実兼が登場して、後深草院と死別ししばらくして終わります。

なので、女房日記と尼さんの紀行文のハイブリッド。ああ、実にファジー

この「とはずがたり」という怪文書の書くことをそのまま真に受けるわけにはいかないのだけど、特に女房日記部分がなんとまあ…。「愛欲編」とも呼ばれる部分なので、「とはずがたり ヤバい」というのは本当にそうです。

だって、愛欲編は、言わば、「私の知ってる変態ランキング」ですから。

しかも、愛欲編の中身をそのまま怪文書、夢小説だとするわけにはいかないのが、「増鏡」に本作と同じ場面がいくつか描かれているからです。その一つが、共通テストに出ました。

以下は独自研究です。

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日本史に残る変態天皇後深草院

とはずがたり」という「私の知ってる変態ランキング」のぶっちぎり第一位は後深草院です。

後深草院は少年時代(天皇だった頃)に仕えた典侍の近子を忘れられず、遺児の二条を引き取って育てました。この二条が大人になるのを待って襲うわけです。後深草天皇と近子の関係は、男子中学生の前になんでも言うことを聞いてくれる綺麗なお姉さんがいたようなものです。

この後深草院は、なかなか不幸な人で、天皇として即位しても父親(後嵯峨上皇)が治天の君(でも政治的な実権は鎌倉側)だし、割とすぐに同母弟の亀山天皇に譲位させられます。

この後深草院持明院統北朝、亀山院が大覚寺統南朝と、(日本の)南北朝時代はこの兄弟の不仲が一つの原因です。そもそもの後深草院は政治的な実権は皆無ですが、上皇の一人であることは事実なので、権威ゼロというわけでもないです。

暇だが権威だけはあり、立場上鬱憤を募らせているだろう、そこそこ若い男なんて、最悪の極みですね。変態にならないわけがない。

おそらく後深草院は自分を「源氏物語」の光源氏に見立て、近子を藤壺、二条を若紫に見立てています。被害者の二条本人がそのように書いているからそう見えるのだけど。

その若紫たる二条は御所さまのことを二人目の父親のようには思っていても、「雪の曙」のことが好きだったので、少女はびっくり仰天!というシーンから「とはずがたり」は始まります。

ただ、成長した二条は、自分が若紫扱いであることを鼻にかけるところがあって、後深草院正室の東二条院(西園寺公子)とぶつかったり、のちに身分の低い明石の上役で琵琶を弾けと言われて母方の祖父と大げんかを起こすシーンがあります。

2022年の共通テスト「古文」

共通テストに「増鏡」「とはずがたり」で使われた部分は、後深草院が二条に命じて自分の異母妹(前の斎宮が任期を終えて伊勢から帰ってきた)を襲いたいから手伝えって言って二条がその通りにするというところです。二条のツッコミとともに記録されている。

しかも後深草院ときたら寝取られ性癖があるようで、二条と他の男の関係を知っています。積極的に後深草院は他の女を抱くけれど、二条を他の男に差し出しもします。

二条にとって、御所さまくらい重要な人物が二人いて、一人がこの「雪の曙」で、おそらく西園寺実兼。そしてもう一人が「有明の月」という密教阿闍梨で、おそらく御所さまの異母弟の性助法親王仁和寺の門跡)。

後深草院は政敵(自分の同母弟)の亀山院に二条を差し出してみたり、どこかの爺さん(大臣ですが)にも二条を差し出してみたりするわけです。

さらに、「増鏡」では後深草院に捨てられてがっくりきている斎宮のところに、西園寺実兼(「とはずがたり」の「雪の曙」)が通うようになります。裏に後深草院(と二条)がいるのではなかろうかと疑いたくなる…。

ザ・HENTAI。

二条と当時のタブー

二条という人は、読めばわかるけれど、自分の美貌と才能を鼻にかけた、結構付き合いづらい感じの人です。

「増鏡」に「とはずがたり」のシーンが描かれるように、そこそこ登場してくるくせに、和歌が勅撰和歌集に入らないとか、和歌の才能も微妙どころで、琵琶の名人だと自称しているけど、多分微妙どころじゃなかろうかと思う訳です。この人の才能は散文にあって、和歌ではなかったのだと、私は思います。

(嫌な女なので、同時代の人は勅撰和歌集に入れなかったのかもしれないけど……)

この人は同性には対抗意識を持って接して、男性には絆されやすいので、端から見るととんでもなく嫌な女ですよ。

「私が御所さまに愛されて離そうとしないから、東二条院(後深草院正室。西園寺公子)が、御所さまは二条を女御にするつもりかと嫉妬しちゃってさ〜」とまでの、砕けた書き方をしませんが、東二条院への意識は相当なものです。

昔の人の行動を現代の倫理観に当てはめるとちんぷんかんぷんになってしまいますが、後深草院は当時のタブーも破った変態です。

しかしそもそも、後深草院がどれだけ二条を愛そうが、二条が典侍の近子の娘なので女御にも更衣にもしてやれないんです。というのも後深草院が「ある女と通じた男はその女の娘に手を出してはならない」という当時のタブーを破っているから。

現代から見ればギョッとする、叔父と姪(天武天皇持統天皇のような)や、叔母と甥(東二条院と後深草院本人)の間での近親婚を繰り返す時代ですが、それでもいくつかタブーがあります。その一つがこの母と通じたら娘と通じてはならないというものです。

後深草院よりも前に、花山院が母と娘に(この場合は同時だった)手をつけて、呆れられる逸話が残っています。この場合は、花山院の娘ではないのが明らかです。

後深草院はそれよりもひどい。愛人の遺児で、二人の年齢差(約十五歳)を考えれば、二条自身が久我雅忠の娘ではなく、後深草院本人の娘の可能性がゼロではありません。

この二人の関係がどこまで真実かは別として(下手したらいわゆる夢小説の可能性が0.1%くらいある)、これは誰だとわかる関係で、「この男はタブーを破る変態男です」と書き記すわけです。

書く女の復讐

後深草院の寝取られ性癖に見えますが、ただの性癖でしょうか。いわば後深草院が二条を他の男と寝させたのと、現代でもホモソーシャルな男たちが一人の女を輪姦する事件にオーバーラップします。私の世代だと、スーパーフリー事件という身の毛もよだつ事件があったのですが、そんな感じ。

最近でも、映画監督が俺と寝たら役をやると言って迫ってきて、逃げようとしたら、助監督が助けてくれたのだが、その助監督もホテルに連れ込もうとしたのだ、という告発がありましたが、あの世界です。

後深草院は身分は高く、権威はあります。ただし、権力なし。大して惹きつけるものがない人が使った手段が、自分が手塩にかけて理想の女に育て上げた女の提供かな。

地獄ですね。

この時代に、この種類の地獄は幾つも幾つもあったことでしょう。そして忘れ去られる。

しかし、二条は記しました。長らく知られなかった、忘れ去られた作品です。ですが、「増鏡」と一致する部分があるので、全てをフィクションだ、夢小説だと決めつけるわけにはいきません。

二条の描く後深草院をどう思いましたか?

800年後の現代人の私は、日本史の中で最も惨めな天皇だと思いました。

天皇+変態というキーワードで思い出すのは、陽成天皇花山天皇ですが、後深草院ほどの惨めかな?

それこそ、書く女・二条の復讐です。

他の変態男

二条にとって、おそらく印象深い相手が二人いて、一人は初恋の人「雪の曙」。もう一人が早死にする「有明の月」です。

こんなに綺麗なニックネームをつけるんだもの。印象深いのでしょう。

けど、現代人の私から見るとやっぱり変態。なので愛欲編はやっぱり「私の知ってる変態男ランキング」と読むわけです。

執念深い有明の月

有明の月」という腐れ門跡が二条の愛人の中にいるのですが、この人は出家の身という立場を捨てることまではしなかったけれど、結構あっさり死んじゃいます。

実際のところは愛と肉欲の中に生きた人ではないかもしれないけれど、自らの意思とは反するところで出家させられ、寝取られ性癖の兄にからかわれるように美貌の女を差し出されるわけです。

中学生の前に、なんでもいうことを聞いてくれる綺麗なお姉さんが現れたどころではないでしょうね…。

二条の方はそうでもないようだけど、この坊さん、ほぼストーカーです。

坊さんからもらったラブレターが「とはずがたり」に出てくるのだけど、もらった二条は鼻血を出して倒れます。

その二条の方は、多分当時からしてもそこそこ熱心な仏教徒ですから。

私は呪いは、その力を信じる人に効くものだと考えているのですが、熱心な仏教徒に、高僧が呪符と一緒にラブレターを送ってくるんです。効くよね。

二条のことを一番愛したのはおそらくこの「有明の月」。二条って自分よりもはるかに身分の高い女に対抗意識をすごく持っているけど、男には結構絆されやすいところがあって、腐れ坊主のことをちょっと可愛く思ってたんじゃないかな。

と読みました。

しかし、二条は書く女ですから。「高位の破戒僧」にこんなに怖い恋文をもらいましたと残します。文面も、地の文とは全く異なる、恐ろしげな文です。

変態ランキング二位はやはり有明の月。

打算と情の男、雪の曙

有明の月」が執念の男なら、もう一人の「雪の曙」は打算と情の男のように読みました。

西園寺実兼と推定されるこの人ですが、二条が他の男(複数)と寝るのに耐えられなくなってくるのか、手を引いていきます。変態祭りの「とはずがたり」の中で、一番の変態が後深草院、二番目が有明の月ですが、雪の曙はそこそこ常識があり、二条とは惰性とも情とも思える関係だと読みました。

それなら、一夫多妻(もしくは一夫一妻多妾)時代なので西園寺実兼が二条を側室として引き取ってもいいだろうに、その気はないらしいんです。

二条と後深草院がべったりだからでしょう。あと、二条には後ろ盾がいません。

二条の父親は既に亡くなっていて、しかも父の後妻との関係も悪いです。さらに二条は母方の祖父(ピンピンしてた)とも関係が悪く、その母方の祖父と関係の悪い叔父(嫡男だが…)という人しか二条の後ろ盾になるような人がいません。

実兼の嫡祖母にあたる北山准后が二条の母方の祖父の姉で、この人は二条をそこそこ可愛がりましたが。後ろ盾になるような人ではありません。そもそもが実兼の嫡祖母ですし。

後深草院以外に後ろ盾になる人がいない二条を側室にすると、後深草院をコケにするか、自分が後深草院にコケにされるかということで、二条とのべったりぶりではおそらく後者です。

その代わり、実兼は、二条が産んだ娘を引き取ります。娘を引き取るところに、情を感じます。しかし、情だけの男ではありません。

かつて藤原道長が自分の娘たちを次々に入内させていったのを思い出してください。

西園寺実兼の成長した娘は三人いて、三人とも天皇上皇に差し出され、院号を受けます。

そう。西園寺家にとって、娘は天皇正室にするものです。娘は多ければ多いほど良いような家柄です。二条の子が女の子だから引き取ったが、男の子ならどうなったでしょうね……

実兼の娘のうち、二番目の西園寺瑛子(亀山院の妃の一人。昭訓門院)が二条が産んだ娘ではなかろうかということになっています。

ただし、二条の書いたものをそのまま全て真に受けるわけにはいかないのではないかとも思っていまして。

上にも書いたけれど、亀山院と二条は関係したことがあり、おそらく雪の曙はそれを知っています。雪の曙が実兼で、二条が実兼の娘を産み、その子が無事成長したならば、ですよ。比較的常識のある実兼が、いくら娘は駒で、名目上の母親は別にいたとしても、かつて二条と関係した亀山院に二条の娘を差し出すでしょうか。

問題は亀山院が、瑛子が二条が生んだ子と知っていたかの方なのかもしれません。亀山院への牽制が、瑛子というタブーだとすると、実兼はかなり陰険だと思いませんか?

二条が時期を入れ替えて書いていて、二条が雪の曙の娘を産んだ時期がかなり遅くて、三女の西園寺禧子(後醍醐天皇中宮)の方だとするとちょっと面白いなあと思いました。

西園寺禧子は和歌の才能があり、あまり決まりにとらわれなかった人だということなので。

とはずがたり」では二条はもう出家している設定ですが、西園寺禧子が生まれた頃、二条は40歳手前です。この人は結構丈夫な人だし、経産婦でもあるので、出産できなくはないのではないかと思うんです。実際に平安時代には藤原穏子が40代で村上天皇を出産した記録があります。このとき夫の醍醐天皇も40代です。

ただ、西園寺禧子が生まれた頃に父親の西園寺実兼がすでに50前なので……現実的ではないかもしれません。

 

 

 

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