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隆安帝についての独自研究、のはずが、狂犬の殺意について

今回もまた、盛大にネタバレをしているので、最後まで読んだ人のみ。

解釈違いによる異論は認めるが受け付けぬ。地雷だったら、抱きしめて吹き飛びな!という独自研究です。

以下良いかい?

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前回の、元和帝についての独自研究の結果は、元和帝は顧昀の即位を最も恐れたということでした。

殺破狼の、元和帝についての独自研究。 - 垂水わらびの走火入魔

その子、隆安帝・李豊はどうでしょう。

この人こそ、「殺破狼」の中の悲劇中の悲劇だと思うのですが。特に悪政を行なったわけでもなく、気がちょっとどころではなく強くて疑り深いけれど、勤勉で清貧な人物です。

美男子を天牢に監禁したけど、その色香に溺れたわけでもないし…。

  1. 北部大隊が皇宮に侵入する事件
  2. 西洋軍に都を包囲されて落城しかける事件
  3. 呂・楊による暗殺未遂事件
  4. 方欽父ら名門世家によるクーデター

ちょっとかわいそうじゃないです?しかも、4は長庚ははっきりと気づいていて、これを機に殺す気満々です。

ほんと、弟に殺されるようなことをした!?豊(ゆたか)〜かわいそかわいい、不憫で哀れな豊〜

表向きは顧昀に含むところがあり、監禁までしたけれど、内情は一方通行の友情があります。

この人が一番警戒した相手は長庚の方です。

李豊の生母の王太后が「蛮族の女はみな妖しく、そこから生まれて来る者はみな忌まわしい」と言ったのも、李豊の皇后が即位後の長庚を怖がったのも、正しかった!

李豊と顧昀

さて、まずは李豊と顧昀について。

李豊が産まれたのは、元和帝がまだ諸王だった頃にかもしれません。少なくともこの人は顧昀よりも年上ですし。

とはいえ、李豊は父親が皇帝として統治し、繁栄を極めたので、この人は生まれながらの皇子ではないかもしれないけれど、皇帝の息子として、それも太子だった嫡男としての権威性と正統性はあります。

そこが、皇子ではなかった父の元和帝との違いです。(ここで私が思い出すのが、宇多天皇醍醐天皇の父子。脱線するので端折るけれど)

顧昀の権威性の源が、軍であり武帝の血です。姓が違うので、正統性には多少疑問があります。なお、李豊は顧昀を警戒するようになったきっかけは、臨終の父親に言われたことですが、李豊が自ら顧昀をはっきりと警戒し始めたときには、すでに顧昀は顧慎の息子、若安定侯ではなく、顧昀本人の軍功による権威性を持った状態です。

対して李豊の権威性の源は、元和帝の皇子であるというところにあり、そこに正統性もあります。

顧昀は皇子と同様に後宮で育ちますが、それは元和帝の温情を示すものであって、顧昀の権威性を高めるものではありません。

李豊の正統性の中身

元和帝が暗君であったことを認めると、元和帝の皇子であるという正統性が揺らぐので、李豊は玄鉄事変については最後まではっきりとした調査ができません。

李豊が玄鉄事変を調べないことについて誰か(誰だっけ?江充?沈易?長庚?)が、子は父の過ちを…という儒教的なことを言っていたけれど、李豊はおそらく父の正統性を揺らがせることはできないのだと私は考えます。

玄鉄事変は李豊の母方の叔父の王裹が関わっています。でも、王裹の失脚の理由は玄鉄事変ではありません。

玄鉄事変は李豊の母方の叔父の王裹が関わったし、父帝が黙認したことを認めてしまうと、元和帝が妖女に溺れた暗君になってしまいます。母の王太后は亡くなっているけれど、弟の累が及びそうです。

そうすると、血統の上では顧昀は元和帝を上回る上に、その治世も良くなかったことになると、元和帝の正統性も権威性も揺らぎます。

この状態になって初めて、李豊の前に顧昀がライバルとして現れます。

李豊はツンデレなのでなかなか認めませんが、顧昀のことがとても好きです。雪だるま事件のときは怒ってるけど。

確かに天牢に入れましたが、あれは入れておかないと謀反を起こした軍への抑えが効かなくなるからです。ある意味、顧昀を信じているから入れたのだと私は解釈しています。

だから、その顧昀がライバルになってしまう状況にはできないので、絶対に李豊は玄鉄事変をほじくり返すことができません。

長庚に対する警戒感

李豊からすると、長庚は登場当時から警戒すべき相手でした。

それは、母親が…というのもありますが、そもそも皇子ですから。

帝位を簒奪しうる人物として太子から最も警戒されるのが、兄弟の皇子というものです。(同時に、皇帝からもっとも警戒されるのが太子というものですが)

李豊の権威性と正統性が元和帝の皇子であることなので、同じ父由来の権威性と正統性を長庚は持ちます。

父系社会だからこそ母親が誰か、母親の父親が誰かが重要です。李豊の母親は王皇后です。兄弟の中で最も李豊に正当性があるのは、長男であるだけでなく、正妻の子だから。そして、父帝の定めた太子だという点です。

なお、元和帝の四人の皇子が全員成人していて、封じられた王位を外して並んだとき、李豊に次いで高い地位にくるのが、狂犬・長庚の可能性があります。第二皇子と第三皇子の生母の位は不明ですが、長庚の母親は(蛮妃と蔑まれますが)、私の解釈ではこの人は生前には貴妃、そして没後に皇貴妃を追贈されているからです。皇貴妃は置かれない王朝も多いけれど、例えば置かれた清朝では皇后に次ぐ二番目の位です。

だからこそ、元和帝が、長庚を親王ではなく郡王に封じて、郡王ゆえに帝位を狙う者ではない、と兄二人に警戒しないように、と保護したと解釈しました。

もしも李豊の治世が、父と同じように繁栄を極めたものならば、元和帝同様に李豊本人に権威性と正統性が生まれます。それが、徳です。ところが、あの通りの惨状です。しかも、教皇の口車に乗りかけたり、李豊にも多少原因がありますが…。

王権神授説と同時に易姓革命の歴史を持つ中国では、これはまさしく皇帝に徳がないからと見做されることでしょう。実際に譲位するときには、二度ととも「朕は不徳にして」という言葉を使います。これは定型文ですが、国難は徳がないゆえと見做される世界で、李豊治世下の事件は李豊本人の権威性も正統性も大変傷つけだのだと考えられます。

対して、長庚は権威性の高い顧昀を義父に持って育ちます。都包囲戦では、顧昀の威光を借りて軍を指揮し、そこで自らの軍功をたてます。それはよりによって李豊救出劇です。そこから長庚本人に、誰か由来ではない権威が生まれ始めます。

長庚は母が蛮妃であるという大きな瑕疵がありますが、それを補って余りあるのが「実際には権威(軍)ある顧昀の元で成長し、武帝時代から大切にされる権威ある(宗教)護国寺とも大変関係がある」という点です。

そこに長庚本人の軍功があり、李豊の元で軍機処を任されて、国家を立て直すために各改革を始めます。

李豊本人の権威性と正統性(つまり徳)はゼロどころか、マイナス状態に落ちたところで、長庚の権威性が高まります。長庚本人の正統性は、改革を始めたことにあります。この裏には、木牌があるのですが。

名門世家のクーデターを、長庚は機としますが、江充もこれに乗じて李豊を帝位から引き摺り下ろすことに同意しています。

それは、江充らから見て、李豊の権威性と正統性がすでに失われていて、長庚の方に権威性も正統性もあったからです。

長庚の殺意はどこで生まれたか

李豊に対する兄弟としての情はないけれど、長庚の目的はあくまでも顧昀の保護であり、帝位はその手段に過ぎません。

長庚を突き動かしたのは、性欲愛情です。

顧昀を引退させたいという目的を達成するための、目標がこの戦争を終わらせ太平の世を作ることで、その手段が即位でした。

なので、太子が成長すればさっさと譲位して、江南でラブラブな生活を送ります。

もしも、方欽が名門世家のストッパーとして機能し、長庚に協力していれば、名門世家の粛清(実際には、粛清を下の方から声高に主張する徐令、実行するのは江充、の組み合わせでしょうか)はなかったかもしれません。

その場合、この世界は結局物理がモノを言う世界でもあるので、名門からの刃は方欽へ向かったかも。

さて長庚に、李豊への殺意があったのでしょうか。

はっきりとあります。具体的には、了然和尚が驚愕する109で仄めかし、江充と話をしている124で、方欽の父親による反乱を使うのだと明確にしています。

その殺意が具体化したのは124ですが、殺意が生まれた時点はどこでしょうか。

確かに55で玄鉄事件を知ったときに「李家の連中を皆殺しにしてやる」と思うのですが、それは呪いの仕業でもあるし、「元凶の親父はくたばりやがった、兄貴も死んじまえ!」くらいのことで、明確な殺意、それも他人の手を使って殺してやるという殺意とまでは言えません。

それよりもその後、おそらく、都の包囲戦で顧昀がどういう人であるかはっきりと知った後、二人共死ななかった、じゃあこの人をどう愛するのかと考えた時でしょう。

68の「顧昀がこの国土を守ろうとして死ぬのをただ見ていれば良いというのか」の次から、木牌を得る話に進みます。

木牌を得て、長庚は忠実な協力者を得ることができます。ここでしょうね。

軍機処を得ただけでは、皇帝の機嫌を損ねただけで、歴代の名将たちのように顧昀は死にかねません。しかもあの李豊は気が強い。顧昀が死なずに済むためには、この人を保護できる立場にならねばならないのです。そう。即位しかない。

ここで、愛ゆえに即位する決意をし、そのためには李豊を排除しなければなりません。

殺意が生まれたのはここだと思うんですよ。その手段としての木牌(の簒奪)。

その後に長庚は江南を経て(これも葛ちゃんに命じて計画したことっぽい)、江北にいる間に李豊は一度目の暗殺未遂に遭います。

おそらく、長庚は呂・楊一派による謀反を予期し、ここで李豊が死んでいても構わなかったのでしょう。自分が江北で刺されることは予期しなかったかもしれないけれど。

二度目の名門世家による暗殺未遂では、方欽じゃなくても誰かに刺し殺されるのでも良かったし、心理的に強い衝撃による衰弱死でも良かったでしょう。

あそこで死ななかったら、譲位させて病床に臥した、という名目の軟禁からの衰弱死(と見せかけた毒殺など)でも、構わなかったでしょう。

それは、この人が皇帝である限り、「皇帝であること」そのものに権威性と正統性があるからです。

李豊が生き延びるifはあったのか

あるとすれば、教皇が🐙に乗ってやってこなかった場合。つまり戦争がなかった場合でしょう。

そうすると、あの二人はくっつかないのでお話が始まりません。

李豊は長庚が帝位を狙っているらしいことに気づいてはいるのだけど、それが手段でしかないことには理解していません。まさかあの狂犬が帝位を狙う理由が、顧昀だとは思いません。

つまり、BLを理解しないという罪でお亡くなりに…?鈍感罪?とフォロワーさんと話をしていました。

もしも気づいていれば、顧昀がなんども死にかけている、それこそが帝位を狙う理由だと理解していれば、二人の望み通りに江南で隠遁させたでしょうか…。

しかし、戦時中に大元帥を隠遁させるわけにもいかないし、そもそも江南はまだ戻ってない。

戦後にどうぞどうぞと、隠遁させることはできたでしょうか…。

あの、猜疑心の強さで?

何度考えても、李豊の猜疑心と気の強さと、長庚の猜疑心がバッティングしてしまい、お亡くなりになる。

哀れ種馬

そして、長庚は太子ちゃんと、歯の抜けたばかりの第三皇子を手なずけてしまった。

太子は母后没後に再度長庚と親しくして、第三皇子は行方不明ですが、この人もしくは第三皇子、いや第一皇子でもいいのでしょう。李豊の三人の皇子(女の子も一人はいるらしい)がいるからこそ、長庚は太上皇として江南でラブラブ生活を送れるわけですよ。

つまり、李豊は種馬扱いです。

息子(たち)まで奪われて、本当にかわいそう〜哀れ〜不憫〜そして、そこが良いのだ、李豊。

安らかに死ね。

そして太子ちゃん、その男が他人の手を使って親父を殺したことも、親父の譲位のときも己が人質になっていたことに気づかないといいね…。あの母后が正しかったことに気づいたらどうなるんでしょうね。

狂犬太上皇と顧帥のハッピーラブラブ江南生活が終わりかねなくないです?

 

ところで皆さん、琅琊榜はご覧になりました?

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